鳥の起源

始祖鳥(アルケオプテリクス)

約1億5000万年前(ジュラ紀後期)の中央ヨーロッパには飛ぶことのできる爬虫類(翼指竜類)が生息していた。この仲間には多様な種が存在していて、歯を持つ種もいれば、歯がない種もいた。食性も小さな種では虫であったり、大きな種(ワシほどの大きさの種もあった)では魚などを食べた。翼はコウモリのものに似ていた。
そんな爬虫類が生息していた中で、1861年に始祖鳥の全身骨格が発見された大きさ。ドイツのバイエルン地方のことであった。他の爬虫類と異なる点として、始祖鳥は羽毛を持っていた。特にこの種をヘルマン・フォン・マイヤーが、学名を「Archaeopteryx lithographica」と名付けた。(アルケオプテリクスは属名で、ギリシャ語で「古代の翼」の意味。リトグラフィカは、化石が発見されたバイエルン地方の採石場でリトグラフ(石版印刷)のための石版が採掘されていたことに由来。)
始祖鳥はカラスほどので、飛ぶことができたのか、できなかったのかははっきりしていないが、翼をはばたかせることで勢いをつけ樹上に上り、そこから滑空をすることや、短い距離であればはばたいて飛ぶことができたとも言われる。しかし、少なくとも多くの現生鳥類のような飛翔能力はなかった。また、現生鳥類は歯を持たないが、始祖鳥は歯を持っていた、
また、現在生息する動物においては羽毛を持つのは鳥類だけであり、鳥類はどの種でも羽毛を持つが、獣脚類の恐竜では羽毛を持つものもいたし、変温動物ではなく、恒温動物であったとも言われる。このような獣脚類恐竜の特徴から現生鳥類の直接の祖先は獣脚類恐竜であったという説が支持されている。

ダーウィンの進化論

始祖鳥の化石が発見の二年前に発表された自然科学者であるチャールズ・ダーウィンの「種の起源」における自然選択(環境に適応している種が生き残り、その特徴が子孫に伝わる)説では進化の過程である中間型の種の存在が指摘されたが、始祖鳥の発見はまさにこの説を支持することとなった。
爬虫類と鳥類の特徴を持つ始祖鳥の発見は当時浸透していたキリスト教を背景にした創造論(神により種が創造されたという考え方)に対し、突拍子のないダーウィンの説の裏付けともなった。

鳥の進化

ジュラ紀後期の始祖鳥の出現以降、白亜紀(約1億5000万年前から6500万年前)では現生鳥類の特徴を持つ種類へと進化し、エナンティオルニス類と真鳥類に分かれた。これが鳥類として初めての適応放散(環境に適応し、様々な種に分かれること)であり、多様化が進んだ。
白亜紀後期に、エナンティオルニス類は恐竜とともに絶滅し、真鳥類の一部が生き残った。その中には現在の飛べない鳥と類縁関係があるであろう鳥が含まれた。
現生鳥類の分類(タクソン)へと分化し始めたのは第三紀(6000万年以上前)だった。まず非スズメ目の種が生まれ、その後スズメ目の鳥が生まれた。この頃、当時唯一の超大陸(巨大な大陸)が2つの大陸に分裂を始め、北のものをローレシア大陸、南のものをゴンドワナ大陸と呼ぶ。
現在生息している走鳥類が南半球の大陸に集まっているのは、適応放散している際にゴンドワナ大陸が分裂をしたためと言われる。

地質年代

参考文献

鳥類学(2009)
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ページの作成:11/03/22